時間が経つのが早い!なぜ?
今年は生活環境が変わったのに、
相変わらず、1 日が早い!
どうしてこんなに時間が
経つのが早いと感じるのか調べてみた。
その結果わかったことは!?
毎日、それほど大したことをして
いないのに、時間が経つのが早い!
私はいつもこのように感じている。
かといって、それほど忙しく
毎日を送っているわけでもない。
「暇だな~」と感じることは
まずないが、1 日が終わって振り返って
みると、あまり大したことはしていない。
旅行に行ったり、友人に会ったりすれば
「エッ、もうこんな時間?」と思うことは
あるが、それは楽しいから、また
お喋りしたりと、それなりに理由がある。
でも・・・・
毎日ふつうに暮らしていても
このように感じる。
そこでなぜ、このように感じるのか
調べてみた。
その結果はこうだった。
1. 日常生活がルーティン化している
毎日同じような生活を送っていると、
記憶に残る出来事や経験が少なくなり、
時間が早く感じられる。
2. 年齢の影響
年を重ねるにつれて、時間の
感覚が変化することがある。
脳の情報処理速度が低下するため、
時間の経過が早く感じられる。
3. 忙しさやストレスなどの影響
多忙な生活を送っている場合、
時間の感覚が鈍くなり、時間が経つのが
早く感じられることがある。
私の場合、ほとんどが1.だろう。
でも学生のときは、毎日同じような
生活をしていたが、今のように
毎日が早いとは感じなかった。
だから2.も大いに関係している
のかもしれない。
今迄と生活は変わったのだが・・・
今年は元旦から、例年に比べ生活環境が
違っている。
元旦はシドニーにいて、それから
3 ヶ月シドニーで過ごした。
その後、日本に来て今に至っている。
日本では、通常は午前中はブログを
書いたり、掃除、洗濯などを
こなしている。
(掃除、洗濯は毎日ではないが)
午後は買い物に行ったり、自分に
課した課題をこなしている。
そのような生活をしていると、
午後がとにかく早い。
アッという間に時間が過ぎてしまう。
特に机に向かっていると、早いのだ。
これは1 .の記憶に残る出来事や経験が
少ないからなのだろう。
だからフランスにいたときも、
毎日が同じだったから、
1 日経つのが早く感じたのだと思う。
今迄は反対に考えていた。
それだけ打ち込んでいるからと・・・。
でも、打ち込んではいるのだけれど、
成果がついてこない。
そうなると、2. が出てくる。
脳の情報処理速度が低下するため、
時間の経過が早く感じられる。
いくら覚えようと頑張っても、
記憶力の低下から頭に入ってこない。
これが2. の理由?
それとも、時間の感覚自体がマヒして
いるから、早く感じる?
どちらも当てはまるのかもしれない。
やることはひとつ
私は今まで、反対に考えていた。
毎日充実しているから、1 日が早いのだと。
友人の中には、「 1 日が長い」と言う
人がいる。
朝起きると、「今日は何をしようか」と
考えるのだそうだ。
私は暇を持て余すことはなく、
かえってやりたいことはたくさんある。
だから 1 日が早く、時間が足りないと
思っていた。
でもそれは、情報処理能力が低下して、
時間がかかっていたからだった。
でも、記憶力は低下するだけ。
今日も同じルーティンで過ごすしか
ないが、できるだけ充実した 1 日を
送れるように頑張ろう。
私には目標がある。
記憶力の低下は仕方ないが、
その目標に少しでも近づくように
日々努力しよう。
子供って意外と親を見ている。
じつは知らなかったのだが、息子は
今ロンドンにいる。
smsで知ったのだが、彼女と一緒に
行ったようだ。
今迄外国にはあまり行かなかった
ふたりだが、親に知らせずロンドンに
飛んでいた。
この後、ドイツにも行くそうだ。
息子が小さいころはよく外国に
連れて行った。
でも親元を離れてからは、
フランス語が通じる国しか行っていない。
たぶん妹もシドニーにいるし、
私も今年はずっと国外。
この前の会話で、他の国にも
行ってみたいと話したことが
きっかけになったのかもしれない。
子供には視野を広げて、世界を見て
ほしい。
将来、役に立つと思うから。
それには親が手本を見せないと・・・。
そのうち追い越されるかも
しれないけれど・・・。
今はスキーもパソコンも、すべて
子供のほうが勝っている。
私がやることはひとつ。
記憶力の低下に負けず、
地道な努力をしていくつもり。
とブログを書いていたら・・・。
「ウン?この曲!?」
そう、ごみ収集車の曲。
「忘れてた!」と慌ててゴミをまとめ
外に出た。
うちの界隈は既に収集が終わっていたが、
そう遠くない距離にゴミ収集車が見えた。
あそこなら走っていけば間に合う、と
思って走り出した途端、収集車も
走り出した。
ここから声をかけても届かない。
ゴミ袋を片手に持って、ダッシュ。
ダッシュと言っても、若い人の
ダッシュとは違う。
でも私にとったら、これ以上の
ダッシュはないと言ってもいいくらい
走ったつもり。
もう少し・・・と思ったら、ひとりが
収集車に乗り込んだ。
もうひとりは歩いている。
次に行くところはそう遠くはなさそう。
でも私はもう限界。
「待って~」と大声をあげながら
走る。
歩いていた人が気づいてくれて
待ってくれた。
「お願いします」とゴミを渡した途端、
もうぐったり。
息はゼイゼイ、足はガクガク。
これもルーティンのひとつなんだけれど、
今日のは特にきつかった。