ちょっとせつないオペラハウスのストーリー
今日は、世界遺産のオペラハウスと
その傍にある植物公園。
そして”ミセス・マッコーリーの椅子” など
いくつかの観光ポイントをご紹介します。
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オペラハウスは、
Circular Quay(サーキュラーキー)から
徒歩 10 分ほど。
サーキュラーキーに行くと、豪華な客船が
停泊していた。
こんな船に一度でも乗ってみたいものだ。
土曜日だけあって、多くの人が出ている。
この前食べたイタリアのジェラート、”メッシーナ”。
ちょっと覗いてみたら、やっぱりそうとう混んでいた。
オペラハウスは現在、世界遺産になっている。
ここでオペラハウスの歴史について
ご紹介。
ちょっとせつないストーリーです。
1940 年代末、
ニューサウスウェールズ州立音楽院の校長であった
”ユージン・グセンス”は、
音響的に完全な大型コンサートホールを
シドニーに建設すべきだと主張していた。
そのためカール首相が組織した
建築設計競技には、世界から 233 件の応募が
集まった。
この中から当時無名だったデンマークの建築家、
”ヨーン・ウツソン” の帆や貝殻の群れを
思わせる複雑で有機的なデザインが 1955 年に決定。
ただその後、音響設備などを含め、工事費は
予定されていた費用よりも大幅に膨れあがり、
問題は山積み。
よって ”ウツソン” は計画からの撤退を強いられ
辞任した。
その後、オペラハウスは予定より10 年遅れて、
1973 年に完成。
2003 年になり、”ウツソン” はオペラハウス設計の
栄誉をたたえられ、シドニー大学から
名誉博士号を授与された。
ただその時 ”ウツソン” は、すでに高齢で
旅行ができないからだになっていた。
そのため、”ウツソン” に代わり、彼の
息子が受け取ることに。
ウツソンにはそれと同時に、オーストラリア
勲章なども授与された。
しかし ”ウツソン” は完成したオペラハウス
を自分の目で見ることもなく、2008年に
亡くなっている。
その後オペラハウスは、2007 年に世界遺産に登録された。
オペラハウスの周りを一周すると、
大きな植物公園があった。
こちらは海沿いに設置された映画館。
夜になると上映される。
ハーブ庭園やバラ園もあったようだが、
私は反対側の ”ミセス・マッコーリーの椅子”
に向かった。
この ”ミセス・マッコーリーの椅子” とは、
ニューサウスウェールズ州の初代総監である
マッコーリー氏が、ホームシックにかかって
しまった夫人のために、囚人に作らせたと
いわれる椅子。
夫人は頻繁にこの岬を訪れ、故郷
イギリスを行き来する船を眺めていたようだ。
ポイントに行ってみても、椅子らしい
ものがなかった。
無くなったのかと思ったら、
そばに石の階段のようなものがあり、
それが椅子だった。
残念ながら、この椅子の写真は撮っていない。
でもこのポイントから撮られた写真が
観光サイトなどによく使われている。
ということで、同じアングルでパチリ。
オペラハウスとマッコリー婦人の物語。
ちょっとせつなくなりますね。
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