旅のハイライト
この日はフェズ駅から電車でメクネスに移動。
7 時 40 分の電車に乗って、メクネス着が
8 時 20 分。
この日は、“ムーレイ・イドリスの霊廟” を
訪ね、“ヴォルビリス” ではローマの遺跡の
凱旋門やモザイクを鑑賞する予定でした。
メクネス駅に到着後、すぐに予約しておいた
ホテルに直行。
通常チェックインは午後ですが、
このホテルから、「朝からチェックイン
まで荷物を預かる」と返事をもらっていました。
旧市街で、荷物を預かってくれるホテルは
ありますが、朝早いと断られるところも
あるのです。
ただ朝早いと言っても、8 時ちょっと前・・・。
モロッコは朝が遅いので、8 時でも
“朝早く” になるのでしょう。
駅からホテルまでプチタクシーで。
荷物だけ預けるつもりでしたが、ホテルに
着くと部屋はもう用意できているとのこと。
このホテルにしてよかった。
部屋に入り、荷物を置いてすぐに出発。
フロントで、この町のタクシーの相場も
聞いておきました。
フェズでは、いいカモにされたことがあったからです。
プチタクシーは 11 MAD(ディラハム)。
グランタクシーは、目的地によって料金が
違い、相乗りなら安いとのこと。
グランタクシーについては、既に調べて
ありましたが・・・。
まずプチタクシーに乗って、グランタクシー
乗り場まで。
プチタクシーに乗った際、運転手さんに
「いくら?」と聞くと「11 ディラハム」
との返事。
正規の料金でした。
モロッコでは、市内のみを走るプチタクシー
と、郊外まで行かれるグランタクシーと
2 種類に分かれています。
プチタクシーは 5 人乗りですが、グラン
タクシーは車が大きく大勢乗れます。
その代わり、ひとりで乗ると料金が高いので
相乗りで乗る人が多い。
相乗りの場合、人数が集まるまで、
待たなければならないので、時間に
余裕をもつことが必要です。
グランタクシー乗り場に着いて、
そこを仕切っている男性に
「ムーレイ・イドリスに行きたい」と
伝えると、ひとりで行くのか相乗りかと
聞かれました。
「相乗り」と答えると、1 台の車を指さして
「あの車に乗れ」と言うのです。
その車に行くと、ちょうどわたしがさいご
だったようで、すぐに出発してくれました。
この車には、既に4人乗っていました。
メクネスから約 40 分、タクシーは
ムーレイ・イドリスに到着。
料金は 15 ディラハム。
日本円にすると、約 240 円ちょっと。
安いですね。
町の名前になっている “ムーレイ・イドリス”
は、イスラム指導者の名前です。
彼は、789 年にモロッコで最初のイスラム
王朝『イドリス朝』を開き、その名が町の
名前となっています。
ここには、ムーレイ・イドリス
(イドリス1世)の霊廟があり、1912 年
までは、ムスリム以外は入ることができませんでした。
町に着き、まずカフェに直行。
このような小さな町では、カフェに
いるのは男性ばかり。
女性は、ひとりもいません。
そこでブラックコーヒーを注文し、目的地
である『プチテラスとグランテラス」までの
行き方をGPSで探しました。
ここに行くには車が入れない細い道を
上っていくしかないのですが、ここは
迷路のようになっています。
ただ、この町は丘の斜面に家が点在しています。
ですから頂上を目指して行けばテラスに
着けるはず。
カフェを出て、まず近くで開かれている
市場を見学。
ロバに荷物を積んで運んでいます。
新鮮な野菜と果物、ミントをたくさん
積んでいるロバもいました。
ただまだ早いのか、準備中のスタンドが
多かったです。
モロッコの市場は 10 時過ぎに開くと、
フェズでも聞いていました。
市場見学のあと、そこから歩き始めた
のですが、丘だけあり、すべて上り坂。
また傾斜が急なんです。
迷路のようになっているせいもあり、
同じところを行ったり来たり。
「上を目指せばいいのだけれど、ホントに
着くのかな~」と思っていたら、ひとりの
男性が声をかけてきました。
「テラスに行くの?案内するよ」と・・・
想い出に残る1日の始まり
「アー、これが自称ガイドだな」と判断。
「迷路のためガイドについて行くと、
高い料金を請求された」とネットに
載っていました。
そこで「テラスまでいくら?」と聞くと
「あなたに任せる」と言うのです。
「そう言って、後から高い料金をふっかけ
るんでしょ」
と言うと、「あなたの決めた料金でいい」との返事。
わたしも疲れていたので、「それなら」とそこで
交渉成立。
そこからこのガイドと話しながら、テラスに
向かいました。
じつはこの自称ガイド、けっこう物知りでした。
ムーレイ・イドリスについてはある程度
調べてはいましたが、ネットに載っていない
ことをよく知っているのです。
町の人の暮らしやら、各家のドアの仕様の話など。
確かに見ると、家のドアは 2 種類あります。
ひとつは昔ながらの造り。
もうひとつは、新しいドアの造りだそうです。
ドアの模様が違っており、その模様には
それなりの意味があるとのこと。
そして、周りに塗られている緑が混じった
塗料は、蚊よけのためだそうです。
蚊はこれらの色を嫌うとのことでした。
またこれは女性が塗るようです。
そういえば、青い街として有名な
“シェフシャウエン” でも、塗料を塗るのは
女性と聞きました。
だから高いところまで塗れないようです。
またドアには手の形をした取っ手が上部と
下部についており、上の取っ手は大人用、
下のは子供とか背の低い人用で、ノックの
回数によって、家族か訪問客かわかるようです。
女性は家の中にいるときは、ジュラバは
脱いでいます。
家族か訪問客か見極めるため、この
ように決めてあるのでしょう。
他にもいろいろと、現地の生活を教えてくれ
ました。
ここでは、女性はいっさい働いていないようです。
女性は家にいて、子供の世話をしながら食事を
作り、家を守るのです。
またこの町ではほとんど仕事がないので、
男は都市に出稼ぎに行き、1 年に 2 ~ 3 回
帰ってくるだけ。
彼も若いときはカサブランカに出稼ぎに
行っていたようです。
職業は “塗装工” と言っていました。
ただ、「カサブランカは公害がすごく、
肌が汚くなる。
だから、毎日帰ってすぐにシャワーを浴びな
ければならなかった。
ここでは 1 週間、シャワーを浴びなくても
汚くならない」と言うのです。
「エーッ、じゃあ 1 週間シャワー浴びないの?」
と聞くと、「たとえだよ」と言っていましたが、
案外、本当だったりして・・・。
でも、ここの水道水はからだによくないらしく、
水道水で歯を磨くと、歯が黒くなると言って
いました。
だからどの家も、水は買っているようで、
町の入り口まで給水車が来るようです。
もちろんこの水は、ミネラルウォーター
ではありません。
正確な値段は忘れましたが、とても安かったと
記憶しています。
ただ買い物は女性の仕事。
この路地は車が入れないので、町の入り口
から水を持って坂道を上ってこなければ
なりません。
手ぶらでもきついのに、これはたいへんな
重労働だと思います。
この水は、飲み水のようです。
調理にもたまに使うようですが、通常、
調理はほとんど水道水と言っていました。
野菜を洗うときも水道水です。
水代もかかりますし、買って家まで持って
くるのも大変なので、仕方ないでしょう。
途中、町の中に柱のよう跡がいくつかあり、
そこは門だったようです。
夕方の確か 5 時か 6 時には門が閉まって
しまい、門が閉まると町には入れず、他で
寝なければならなかったようです。
夕方 5 ~ 6 時なんて、早いですね。
「よく知っているね」と言うと、彼は
このムーレイ・イドリス生まれとのこと。
「自分の名前も町と同じで、イドリスだ」と
言っていました。
そのように話しているうちに、プチテラスに
到着。
ここから町が見渡せます。
ただこの上に、グランテラスがあるのです。
そこからのほうが見晴らしがよく、景色も
いい。
そこでグランテラスに向かい、やっとの
ことで目的地に到着することができました。
彼を雇って正解でした。
町の入り口からここまでけっこう距離が
あり、また迷路のようなところもいくつか
あったので、ひとりで探していたら、もっと
時間がかかっていたでしょう。
テラスに着いたので、「どうもありがとう。
あとは下っていくだけだから」
と言うと、町にはまだ見るところがあるよ。
下まで一緒に行かない?」というのです。
「いいけど、ガイド料、高くは払えないよ」と
言うと、「それでもいい」と言うのです。
ここに来る間も、わたしが疲れたら休んでくれ、
写真を撮っているときも、何も言わずに
待っていてくれたので、結局下まで一緒に
行くことにしました。
途中、当時の町を描いた壁画がありました。
そこからすぐ、路地に黄色い液体が入っている
プラスティックの容器がいくつも並んでいた
のですが、これはネコがおしっこをするの
を防ぐためだと教えてくれました。
今まで至るところにネコがいましたが、
ネコのオシッコよけを置いている町は、後
にも先にもここだけでした。
また降りてくる途中、“女性用シェルター” が
ありました。
夫から迫害された場合、女性はここに逃げ込む
ことができるようです。
滞在期間の制限はなく、絨毯を作ったりして
お金を稼ぐらしいですが、1 日中働くことは
なく、食事も提供されるとのこと。
もちろん彼女達の夫は、ここには入れません。
「フランスは今問題になっているんだけど、
ここでも男性が妻に暴力をふるうの?」
と聞くと、やはり多少はあるようです。
ただアルコール禁止なので、酔って暴力を
ふるうということはまずないとのこと。
夫の暴力以外の理由で来る女性が多いとの
ことでした。
たとえば夫が自分に関心を持ってくれないとか。
夫に不満がある場合でも、ここに来ることが
できるようです。
そして下っていくと、ムーレイ・イドリス
廟の入口に。
この横棒、なぜここにあるかというと、
入るときには誰でも自然に頭を下げるので、
イヤでも敬意を示すことになるからとのことでした。
もちろん王様が通るときは、この棒は
取り払われるようです。
その他、ここはオリーブが有名だそうです。
ここにはオリーブの木がたくさんあり、
彼も 1 年のうち 3 ヶ月間はオリーブの実を
収穫するために働くようです。
この時期には、他の地域からも出稼ぎに
来る人が多いようですが、仕事はけっこう
きつく、朝 4 時半から夜の 8 時まで働くと
言っていました。
すべて手作業なので、時間がかかるのでしょう。
また傾斜が急なので、落ちたオリーブが
下に転がってしまい、これを拾い集めるのも
一苦労ということです。
彼はフランス語が流暢です。
何ヵ国語話せるのか聞いたら、
アラビア語はもちろん、英語とフランス語
のほかに、スペイン語とドイツ語が話せる
ようです。
ただドイツ語は、流暢ではないとのことでした。
どのように学んだのか聞いたら、小さな頃から
この町に来た旅行者を相手に道案内をして、
飴やお菓子をもらいながら覚えたとのこと。
「学校ではフランス語と英語の授業があったが、
これが一番の勉強になった」と言っていました。
やっぱり、アウトプットなんですね~。
このように話を聞きながら歩いていて、
ふと「この人、いくつなんだろう」と思い、
歳を聞いてみました。
すると 57 歳だというのです。
答えると同時に、身分証明書を見せて
くれました。
「わたしより、〇〇歳も若いんだ」と
言うと、「じつは 2 年違うんだ」との返事。
身分証明書の生年月日は、生まれた年では
ないというのです。
学校に行くために 2 年ごまかしたようです。
「そんなことできるんだね」と感心して
しまいました。
ガイド宅にて昼食をご馳走に
話しながら歩いていると、朝見た市場まで
降りてきました。
朝と違い、活気があります。
「ありがとう」と言って、ガイド料を
払おうとバッグに手をかけたとき。
「これからどこに行くの」と聞かれました。
そこで、「ヴォルビリスに行く」と答えると、
「自分はヴォルビリスのガイドもできるん
だけど、よかったらお昼を一緒に食べた後、
ヴォルビリスを案内するよ」と言うのです。
「ガイド料は?」と聞くと、「あなたに
任せる」との返事。
身分証明書も見たので、承諾。
それならお昼は安くどこかでタコスでも・・・
と思い、この傍に食べるところがあるか
聞くと、彼の家で食べると言うのです。
一瞬、?と思いましたが、彼の奥さんが作る
というので、彼ひとりではなさそう。
また今までの話から、信用できると思い、
これも承諾。
家はどこにあるのか聞くと、
「テラスの近く」と言うのです。
「エーッ、また上るの?」と言うと、
途中だからと言います。
そこからまた坂道を上っていきました。
ここは、近道だそうです。
彼の家に向かう途中に見えたプール跡。
プールだけでなく、川も干上がって
底が見えていました。
家の前に着くと、ドアが半開きになっています。
彼はドアを開けて入っていき、わたしも後に
続きました。
入ってすぐ、大きな部屋がありました。
薄暗かったので、よく見ることはできな
かったのですが広そうです。
階段を上っていくと・・・。
出たところは、外側から見たのとは大違い。
大きな部屋があり、そこにテーブルと
長椅子がありました。
部屋の隅には羊の毛でしょうか、
それと作りかけのクッションがいくつも
置いてありました。
今は、ここでクッションを作っているようです。
天井は開けっ放しになっていて、開放感
バツグン!
雨天のときは、天井が閉まるようになっています。
明るくて、とても素晴らしかったです。
隣に設置してあるキッチンから、彼の
母親が挨拶してくれました。
彼女はアラビア語しかわからないようです。
壁に沿ってまた小さな階段があり、そこを登ると
今度はテラス。
町を眼下に見渡せます。
テラスから降りると、ちょうど彼の妹が
帰ってきました。
買い物に行ってきたのでしょう、
挨拶を交わしたあと、「今日も暑くなりそう」
と言いながら、ジュラバを脱ぎました。
ジュラバの下はパンツとキャミソール。
女性は家の中では、このようなスタイルなんですね。
彼女から、「今クッション作りをしていて
散らかっているけど、ごめんなさいね」と
一言。
とても気さくな女性で、ふだんはマラケシュに
住んでいるそうです。
ただ、今は子供を連れて帰ってきているとのこと。
何でも 6 月 17 日(月)に行われる、
『イスラム犠牲祭』のためだそうです。
イスラム犠牲祭とは、
イスラム教の 2 大祝祭の一つ。
日本で言うお正月のような感じで、この
ときは出稼ぎに行っている男性も必ず
帰ってきます。
女性は朝早くから、調理や家事に追われ
たいへんなようですが、誰もが楽しみに
している行事だと話してくれました。
「17 日はどこにいるの?犠牲祭に来ない?」
と誘われましたが、17 日は既に帰国して
いるかもしれませんし、モロッコにいると
しても、マラケシュ近辺。
興味はありましたが、ここに来るには
ちょっと距離があります。
「残念ですが・・・」と丁寧に辞退させて
いただきました。
こうしていると、彼女の娘が帰ってきました。
彼女はわたしに近寄ると、ビズの挨拶。
これはフランス式の親しみを込めた挨拶です。
しばらくして、彼が料理を運んできました。
料理はご覧のとおり。
オリーブを含め、すべて自家製です。
彼の妻が作ったらしいのですが、彼女は
さいごまで姿を見せず。
彼の妹が、「今日は火曜日なので、朝買って
きたばかりの新鮮な魚よ」と教えてくれました。
また「ここで食べるのは、すべてオーガニックよ」
とも言っていました。
そこで「週に 3 回は魚を食べている」と
彼が言っていたのを思い出しました。
食事前に手を洗います。
「さあ、食べよう」と思ったのですが、
小さなスプーンがサラダのそばにあるだけ。
フォークはフルーツ用です。
食事は、彼とわたしとふたりだけでした。
彼を見ると、手で食べています。
ここはモロッコ、まして一般家庭です。
ここでは彼のように食べないと・・・。
そこで魚を手でつかみ、口に入れようと
したら、彼が慌てて「ちょっと待って」と
言うのです。
魚を丸ごと口に入れようとしたのですが、
「この魚は、先に骨を取ってから」
と言われました。
魚は2種類用意されていて、わたしが取ったのは
大きなほう。
まず手でほぐして骨を取り、それから食べる
のだと教えてくれました。
もうひとつの小さな魚はイワシで、これは
丸ごと食べても大丈夫とのこと。
でも右手だけでほぐして食べるって、
けっこう難しい。
パンは左手で持って、右手でちぎりますが、
見ていると魚をほぐすのは右手だけ。
また口から骨を出すことはしないようです。
でもなんとか、食べることができました。
ご馳走になった魚は、中に香草が入っており、
揚げてありましたが、とても美味しかったです。
でも手はベトベト。
さすがに全部は食べきれず残したら、
ホテルで食べるようにと、残った魚を紙に
包んで持たせてくれました。
でも、これから炎天下の中を歩くので
断ったのですが、けっきょくリュックに
入れることに・・・。
食後は彼女の妹も加わり、すこしお喋り。
彼の母親は、足が悪く家からほとんど
出ないようです。
足が悪い人には、この坂道の上り下りは
たいへんでしょう。
家の中でも母親は下の階にはおりず、この
部屋の横に寝室があるらしく、そこで寝て
いるようです。
しばらく話をしたあと、わたしはガイドの
彼と一緒に家を出ました。
家を出てすぐ、彼に尋ねたこと。
彼はわたしを家に招く前、家に電話を
入れていません。
どうやって彼の妻に、料理を用意させたのか。
フランスだったら、夫が急に人を家に招いて
食事をすることになった場合、前もって
妻に連絡するのが当たり前です。
でも「問題ない」との返事でした。
もしかしたら、彼と家の人が食べる分を
わたしにまわしてくれたのかもしれません。
また彼に「あなたの家って大きいね。
フランスだったら、とてもじゃないけど
あなたのような家に住めないよ」と言ったら、
「この辺の家は、みんなうちと同じぐらい」
と言うのです。
そして少し歩いていたら、彼がある家の
ドアをノックしたのです。
ノックの回数は、さっき教えてもらった
とおり訪問客の回数でした。
でも留守だったらしく、誰も出てきません。
彼は、「知り合いの家なんだが、ここでは
大きい家なんだ。
見せてあげようと思ったけど、留守だった」と。
ヴォルビリスに向かう
しばらくして、「どうやってヴォルビリスに
行きたい?」と聞かれました。
さきほどロバで行く方法もあると聞いて
いたのですが、ふたりだとちょっと高い。
タクシーなら 10 分ですが、町の入り口まで
行って待たなければなりません。
そこで時間もあるし、歩きで行くことにしました。
徒歩だと約 1 時間です。
この町から墓地を通っていけば、1 キロ短縮
できるというので、墓地に向かいます。
でも・・・、
墓地に着いたのはいいのですが、この墓地が
あるところは、これまた傾斜が急なんです。
なるべく傾斜の少ないところを歩いてもらった
のですが、やはりきつい。
手を引っ張ってもらいながら、なんとか
道路に出ることができました。
今朝のわたしの予定では、この町から
ヴォルビリスまで、タクシーがいなかったら、
歩くつもりでした。
そのときは「ヒッチハイクもありかな」と
思っていたのですが、車はほとんど通りません。
その上 1 本道かと思ったら、途中で道が分か
れており、違う方向に行ったら、それこそ
大幅な時間のロス。
ここも、彼に来てもらってよかったです。
強い日差しの中、ふたりでテクテクと歩き、
やっとヴォルビリスに到着。
ここには、ガイド付きでたくさんのツアー
客がいました。
フェズまたはメクネスから、ツアーに
申しこんで来た人達でしょう。
長くなりますので、このヴォルビリス
からの話は、次回にさせていただきますね。
次回のブログは、わたしにとって
初めての体験となったこと。
そしてメクネスの夜についてです。
今回の旅で、ここが一番想い出に残った
理由がおわかりいただけますよ。
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